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最高裁判所第三小法廷 昭和36年(オ)1254号 判決

上告人 淀橋税務署長

訴訟代理人 関根達夫 外二名

被上告人 日本勧業保全株式会社

破産管財人 関口保二 外一名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人弁護士田中勝次郎、同指定代理人関根達夫、同広瀬時江、同菅野文治の上告理由第一点について。

論旨は、原判決には、所得税法第一条二項三号、同法四二条三項、同法施行規則一条の解釈を誤つた違法があるというのである。

一、論旨は、右の規定の立法当時の背景と立法の経緯をるる述べて、本件被上告会社と資金の提供者との間の契約は、所得税法一条二項三号の「事業をなす者に対する出資につき匿名組合契約及びこれに準ずる契約で命令で定めるもの」に該当する旨を主張するのである。

しかし、所論の立法の経緯等は十分に首肯できるけれども、本訴の争点は被上告会社と出資者との間の契約が右の所得税法所定の契約に該当するかどうかである。もとより、法令の解釈に際し、法令制定の事情、動機等をも参酌しなければならない場合もあるであろうが、法令の規定は立法理由を離れた客観的な存在であつて、所論の立法の理由、経緯等によつて、それだけで、右契約が所得税法所定の匿名組合契約等にあたるものとし、よつて、原判決の法令解釈に誤りがあると断ずることはできない。

二、論旨は、所得税法にいう匿名組合契約等にあたるかどうかは、出資、利益の分配、十人以上の出資者という三要件を備えているかどうかのみにより決せられるべき旨を主張するのである。

しかし、法律に匿名組合契約及びこれに準ずる、契約と規定している以上、施行規則で所論の三要件を規定しているからといつて、右三要件のみで直ちに匿名組合契約にあたると解すべきではなく、このことは、当裁判所第二小法廷が、昭和三五年(オ)第四号事件について、昭和三六年一〇月二七日の判決で判示するとおりである。右先例によれば、所得税法上の匿名組合契約等というためには、右の三つの要件のほかに、出資者が隠れた事業者として事業に参加しその利益の配当を受ける意思を有することを必要とするのであるが、これを本件について見るに、原判決の引用する一審判決の認定するところによれば、被上告会社は、いわゆる出資者からその事業資金を組織的に借り入れる意思しかもつておらず、一方いわゆる出資者も、殆んど高率のいわゆる配当に専ら着目し、銀行に預けておくよりは有利であると考えて申込をし、その事業内容には関心を持たず、その事業に参加する意思もなかつたというのである。原判決が本件契約が匿名組合契約等にあたらないとしたのは相当である。

三、論旨は出資及び利益の分配の意義について論じ、匿名組合契約等にあたると解するについて出資者に事業参加の意思は必要でないというのである。出資及び利益の分配の意義が必ずしも明白でないことは所論のとおりであるとしても、所得税法上の匿名組合契約等については、事業参加の意思を必要とするものと解すべきことは前段説明のとおりであり、その他原判決が認定した諸般の事情によれば、原判決が被上告会社とそのいわゆる出資者との契約が所得税法上の匿名組合契約等にあたらないとしたのは相当である。論旨は理由がない。

同第二点について。

論旨は、原判決は法律行為の解釈、ひいては法令の解釈を誤つた違法があるというのである。

一、原判決は、所論のように、当事者の内心的意図のみを探究して会社と出資者との契約を匿名組合契約等にあたらないとしているのではない。

二及び三、被上告会社と出資者との間は、約款の細部、契約手続等すべて会社の定めるところにより定型化され、個々の場合に改変できなかつたということは所論のとおりであろう。しかし、原判決が引用する一審判決は、個々の契約を解釈して本件契約が匿名組合契約等にあたらないとしているのではなく、会社の申込誘引方法、営業案内、会社の約束手形の振出等に関し詳細な事実を認定し、所論の定型化されたものとして、客観的にも、出資者が隠れた事業者として事業に参加する意思を有せず、会社もまたその事業資金を組織的に借り入れる意思しか持つていなかつた旨を認定した趣旨であつて、原判決に所論のような違法はない。また、所論のように、約款の解釈に不明瞭な点があれば会社の不利益に解しよつて本件契約を匿名組合契約等にあたると解しなければならない理由はない。

四、論旨は法律行為を解釈するに際しては、その行為が法律違反にならないように解すべき旨を主張するのであるが、そのために当事者の意思を離れて契約の趣旨を解釈することはゆるされないものといわなければならない。論旨は理由がない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判官 横田正俊 河村又介 垂水克己 石坂修一 五鬼上堅磐)

上告代理人田中勝次郎、同指定代理人関根達夫、広瀬時江、管野文治の上告理由

第一点原判決には、所得税法第一条第二項第三号、第四二条第三項および同法施行規則第一条の解釈につき判決に影響を及ぼすことの明らかな誤りがある。

原判決は、「破産会社が出資者に支払つた金員は、所得税法上の匿名組合契約またはこれに基づく利益の分配に当るものではない」と判断し、第一審判決記載の理由をそのまま引用しているのであるが、その第一審判決は、「確定率の金員を分配する契約が匿名組合に該当するかどうかは、契約の当事者間において、出資者が事業者の経営する事業にいわゆる隠れている営業者として参加する意思があるか、或は単に出資者の提供したいわゆる出資金を利用させ、その対価として利息を受ける意思を持つにすぎないかという点について契約全体の趣旨から判断しなければならない。」と判示されている。

しかし、匿名組合契約等の概念は、所得税法、同法施行規則に規定されているところであつて、これに該当する契約であるかどうかは、専らこれらの法規の定める要件を充たしているかどうかによつて決せられるべきである。そして、これらの法規の解釈にあたつては、およそ立法は、一定の社会事象に対処して国家意思の発現としてこれを推進、阻止しまたは矯正、方向ずけをするものであるから、その立法の背景となつた社会事象、立法の目的ないし理念等を検討して当該法令の規範的意味を確定すること、すなわち法令の趣旨、目的とするところを把握し、これにもとづいて目的論的に解釈しなければならないことはいうまでもないところである。

殊に、行政法規は、私法におけるような私的自治の原則を認めず、行政目的を画一的に実現するための技術法規たる性質を持つものであるから、規律対象の主観的、内面的な内容を問題とすることなく、外部に現われた客観的、外面的な表象に着眼されて規律されることが多いのであるから、規律対象となつた社会事象を適確に把握し、その実践的作用を直視して解釈しなければならないのである。

そこで、先ず、立法の誘因をなした当時の社会経済の情勢、立法の趣旨、目的について述べれば次のとおりである。

一、立法当時の背景と立法の経緯

昭和二四年頃、金融が極度に確塞していた戦後の経済情勢を背景とし、それを緩和する方途として株主相互金融方式および匿名組合方式と称せられる方式による大衆からの資金の調達が行われ、漸次、全国的に拡大する風潮にあつた。

株主相互金融方式というのは、金銭貸付等を目的とする株式会社を設立して株式を発行し、その株式を広く一般大衆に譲渡し、その譲渡代金の払込によつて資金をあつめ、出資者には高率の優待配当金を支払うものであつたが、同二六、二七、二八年と逐年調達資金の量が増加し、昭和二八年当時はこの方式によりあつめられた総資本額は実に三〇〇億に達するにいたつたといわれている。

一方、匿名組合方式というのは、当時金融界の問題となつた保全経済会や日本白十字経済会のように商法上の匿名組合契約であることを標榜するものと、本件破産会社のように商法上の匿名組合契約であることを明らかに標榜しないものとの二種があつたが、そのいずれもが、事業者が事業への投資金を広く一般大衆に求め、それに対して高率の利益配当をすることを約するものであつた。この方式により調達された資金も尨大な額に上り保全経済会だけでもその獲得資金は約五〇億に達したといわれている。

この匿名組合方式の金融形態においては、出資金を受入れれば、その際匿名組合契約を標榜するものは出資証券を交付し、匿名組合契約を標榜しないものは出資の証として約束手形を交付するのを例としていたが、この後者のうちにも本件破産会社のように当初は出資証券を交付しながら、その後これを廃止し約束手形に変更するものがある等、いわゆる匿名組合方式と称せられるものの態様は一様ではなかつた。しかし、事業者が事業の有利、安全性と高率の利益配当とその確実性を宣伝し、広く一般大衆から出資金を募集していることには変りがなかつた。

何故に、このような金融ないし事業組織が考案されたかというに、銀行として本来銀行業務の免許を受けていないものは、本来預金を受入れることはできないのであるが(銀行法第一条、第二条参照)、新らたに「貸金業の取締を行い、その公正な運営を保障するとともに不正金融を防止し、金融の健全な発達に資する」ことを目的として制定された「貸金業等の取締に関する法律(昭和二四年五月三一日法律第一七〇号---以下単に貸金業取締法という。---)」によつても、貸金業者が「預り金」(不特定多数の者からの金銭の受入で預金、貯金、掛金その他何らの名義をもつてするを問わず、これらと同様の経済的性質を有するもの((同法第七条第二項参照))をすることが禁止されるにいたつた結果、当時盛んに行われていたいわゆる殖産会社(殖産金融または殖産無尽ともいう。)の取締が行われ、もはや、不特定多数の者からいかなる名目をもつてするも預り金を受入れることができなくなつたので、「預り金」としての資金の受入れではなく、これと異つた資金調達の方法が考案されなければならなくなつたからである。

すなわち前述の株主相互金融方式または匿名組合方式による資金の調達方法がこれに該るが、この方法によれば一般大衆からの預り金を受入れたことにはならず、銀行法もしくは貸金業取締法の違反に問われるおそれはないと考えられたからである。かくて株主相互金融会社または匿名組合等がばつこし、それらの金融機関は、自らの行う資金調達および事業活動は、決して銀行や相互銀行等の預金業務と同視すべきものでなくいわば投資事業会社であることを強調し、一般大衆にはその合法性、有利性、利殖性、確実性を宣伝してやまなかつたのである。

この二つの資金調達方式ないし事業方式については、当時の衆参両議院の大蔵委員会でも大いに問題になり、このように高率の利益配当を掲げて一般大衆から資金を吸収することは、現行の金融機構および事業組織を紊し、一般大衆(株主または出資者)をして不測の損害を蒙らしめるおそれがあるから、何らかの措置を講じまたは取締るべきではないかという論議がなされた。

そこで政府においても種々検討を加えた結果、上記二種類の資金調達方式の中には、前述のように個々的には種々の相違がみうけられるが、概してこれらの方式によるものは、一見「預り金」に近いような感を与えているけれども、いずれも、株主または出資者となつて出資をなすこと、これに対し利益を配当すること、を目的としており、この点では銀行預金または無尽掛金のような「預金」または「預り金」の資金の受入ではなく、むしろ株式会社に対する株式投資とか事業への投資と同様の性質を有している。したがつて、これを前記法律の取締の対象とすることは困難であり、高率の利益の配当を標榜していても、これを信ずると否とは株主または出資者たらんとする者の自由であり、これは投資家の自警心に委すほかはないとの見解に到達した。

そして、かように、それが株式会社に対する株式投資とか事業への投資と同じ性質を有しているものである以上、これを税務の立場からみれば、それらの出資者が当該出資金につき受ける配当は、これを自己資金の投下にもとづく所得とみるべきは当然であるから、所得税法に照らし、所得税を課税すべきことはいうまでもないが、万を超える多数の出資者(納税義務者)について洩れなく所得を捕捉し、負担の公平を図るためには、いかなる課税方式を採るべきかが問題となつた。株主相互金融方式の場合は、株主は株主相互金融会社の株主たる地位にもとずいて優待配当金の支払を受けるもので、一般の株式会社の株主配当金と同一であると解されるから、配当所得に対する源泉徴収制度を適用すれば足り、特段の立法措置を講ずる必要はないものと考えられたため(所得税法第三七条参照)、特に立法措置は講ぜられなかつた。

しかし、匿名組合方式の場合は、それが全く新しい方式にもとづくものであつたため、既存の法制度をもつて賄うとすれば、結局、確定申告段階で他の所得と合算して一時に納税させることとならざるを得ないが、それでは万を超える多数の出資者(納税義務者)についての課税洩れを防止することができず、特にこの種の所得については、仮装名義を用いて出資している者が多い実情にあつたので、的確かつ公平に課税権を行使することはおぼつかない状況にあつた。

そこでこれに対処する方策として採用されたのが株主相互金融方式の所得の課税について適用される源泉徴収制度である。この制度によれば、納税義務者は、確定申告の段階で他の所得と合算して一時に一括納税するよりも、利益の分配を受ける都度納税できる故簡便、有利であり、しかも、課税の確実、公平を期し、併せて国家財政の立場からいえば歳入の平準化を図る所以ともなり、他方株主相互金融方式に対する所得税の課税方式との均衡をも保持することができるのである。

このような趣旨の下に匿名組合方式による利益の分配について源泉徴収制度を採ることとし、所得税法第一条第二項の第三号後段に、「又はこの法律の施行地において事業をなす者に対する出資につき匿名粗合契約及びこれに準ずる契約で命令で定めるもの(以下匿名組合契約等という。)に基く利益の分配を受けるとき」との条項を追加するとともに、同法第四二条第三項として「居住者に対し、この法律の施行地において匿名組合契約等に基く利益の分配につき支払をなす者は、その支払の際、その支払うべき金額に対し百分の二十の税率を適用して計算した税額の所得税を徴収し……これを政府に納付しなければならない。」との規定を追加し、利益の分配をなす事業に対し源泉徴収義務を負わしめることとしたのである。

しかして、所得税法にいう「匿名組合契約等」の定義については、同法施行規則第一条に「所得税法第一条第二項第三号に規定する匿名組合契約及びこれに準ずる契約とは、営業者が十人以上の匿名組合員と匿名組合契約を締結している場合の当該匿名組合契約その他当事者の一方が相手方の事業のために出資をなし相手方がその事業から生ずる利益を分配すべきことを約する契約で当該事業を行う者が十人以上の出資者と締結している場合の当該契約とする。」との規定を設け、同法にいう「匿名組合契約等」の定義を明らかにしたのである。

右の施行規則第一条において匿名組合契約等に関する定義を明らかにしたのは、匿名組合方式を採る金融組織は、前述のように自己の事業の有利性、安全性、利益分配の確実性、高利性を宣伝して事業資金を調達し、事業利益の分配を約する点においては共通していたが、他面匿名組合契約を標榜するものとこれを標榜しないものとがあり、しかもそれらのなかには出資の証として出資証書を出資者に交付するものあるいはこれに代えて約束手形を交付するものがある等その形態は多様であつたので、かかる現象形態に着目し、匿名組合契約を標榜するもの、すなわち匿名組合契約に該るものについては「営業者が十人以上の匿名組合員と匿名組合契約を締結している場合の当該匿名組合契約」としてその旨を明示し、匿名組合契約を標榜しないものすなわち本件破産会社のような契約形態については、「匿名組合に準ずる契約」といい、その定義については、自己の事業への投資を勧奨し事業利益の分配を約している客観的な共通事実を捉え「その他当事者の一方が相手方の事業のために出資をなし相手方がその事業から生ずる利益を分配すべきことを約する契約で当該事業を行う者が十人以上の出資者と締結している場合の当該契約とする」とし、両々相俟つて匿名組合方式を採る金融組織のすべてについて源泉徴収制度を適用することをねらい、その包括概念として「匿名組合契約等」という名称を冠することとしたのである。

なお、匿名組合契約等の規模を十人以上の出資者との契約をなしているものに限定したのは、源泉徴収制度を適用するのは、多数の出資者(納税義務者)の存することが制度の目的自体からみてふさわしいと考えられたからにほかならない。

二、匿名組合等の意義

以上のように成文法における「匿名組合契約等」は、営業者が十人以上の匿名組合員と契約している場合の匿名組合契約と、所得税法第一条第二項第三号および同法施行規則第一条が新たに規定した事業者が十人以上の出資者と契約している場合の無名契約に二大別することができる。

前者(以下典型組合という。)については、後者(以下非典型組合という。)と異なり、単に匿名組合と規定するのみで匿名組合契約そのものについての定義を欠いているのであるが、前述のような立法の経緯、目的からみて商法上の匿名組合の内十人以上の出資者のある場合をいうものと解することができる。

なを、商法上の匿名組合契約は中世の伊太利に発生したコンメンダ、すなわち資本家が利息禁止法を潜脱し、企業に伴う危険を一定の財産に限定する目的で案出された特殊の法律関係に端を発して規定されたものであるといわれているが、前述の所得税法の立法措置を促したいわゆる匿名組合方式による金融組織も、金融取締法規、利息制限法等の規制に対処して案出された経済行為を目的とする法律手段であり、企業に伴う危険を出資金額に限定しようとする目的にもかなう契約方式である点をみれば、そこに一班の共通点を見出し得よう。(非典型組合を匿名組合に準ずる契約と呼称することとしたのにも故なしとはされないであろう。)

ところで商法は、「当事者ノ一方カ相手方ノ為メニ出資ヲ為シ其営業ヨリ生スル利益ヲ分配スヘキコトヲ約スルニ因リテ其効力ヲ生ス」る契約を匿名組合契約であるとしている(同法五三五条)。

したがつて、他人の営業への出資と利益分配とが他の契約と区別すべき基準とせられるべき筋合であつて、商法が匿名組合に関する他の数ケ条の規定をおいていても、それは当事者の意思を推測し補充する任意規定にすぎないものと解し得るのである。そうだとすれば典型組合は、右の出資、利益の分配および十人以上の出資者の三点が要件となつているということができる。

他方、「匿名組合契約等」の包括概念として定立されている非典型組合は、施行規則において、典型組合を例示として「その他」の他人への事業の出資、その事業からの利益の分配および十人以上の出資者の三つの要件を掲げているのみであるから、これが「匿名組合契約等」を他の契約と区別するための要件ということができる。

故に、これを帰納すれば、所得税法にいう「匿名組合等」に該るかどうかは、結局、右の出資、利益の分配、十人以上の出資者という三つの要件を備えるかどうかによつて決せられるのである。仮りに、典型組合が商法上の匿名組合に該るというためには、右の出資、利益の分配のほかに例えば、営業の監視権とかその他の権利義務が当事者間にあるべきであると解されたとしても、そのような権利義務がないことから直ちにそのような契約が、所得税法上の「匿名組合契約等」に該当しないとはいえないわけである。

換言すれば、監視権その他の権利義務の存否は、仮りに商法上の匿名組合すなわち典型組合であるかどうかを認識するについて必要であると解しても、このことは所得税法上「匿名組合契約等」の解釈には何らの影響を持つものではない。

これは、前述した立法の経緯、目的からみても明らかなところである。すなわち、立法当時のいわゆる匿名組合方式の金融には諸々の形態があつたが、新たな立法は、これらをすべて対象として源泉徴収制度を適用する必要を認めて所要の規定を設け、その施行規則の定義規定においては、これらをすべて包括するような「匿名組合契約等」という概念を掲げ、ただその共通の要素となつているのが他人の事業への出資とその利益の分配であることに着目して、その要件を掲げ、さらに不特定多数の出資者という経営形態を立法技術的に十人以上の出資者とするとの要件を加え、少なくともこの要件を備える限りは、「匿名組合契約等」に該るものとして源泉徴収の方法で課税することとしたのであるからである。

したがつて、右の三つの要件のほかに、出資者に営業監視権を賦与するとかその他の要件をこれに加えて「匿名組合契約等」に該当するかどうかを決することは、成文法の解釈に反すると同時に法がその対象とした匿名組合方式をとる金融組織のうち或る種のものを除外する結果となつて立法趣旨を貫き得ないこととなるのである。

この点に関し、原判決は、その引用する第一審の判決の「資金の需要が大であるのに不特定多数人から消費寄託や消費貸借によつて資金を受入れることが禁止されている場合(いわゆる匿名組合方式による資金の受入れの方法が銀行法や貸金業法によつて一般大衆から消費寄託の方法で資金を受け入れることを禁止されていたため、それに代る資金の獲得方法として考案されたものであることは公知の事実である)には、営業者は資金の受入れをすること自体に大きな利益を受けるのであるから、出資者に対し事業から利益を生ずると否とを問わず確定した率の金員を利益の配当として分配することを約する契約(無名契約)を締結することはありうるわけであつて、それが前記銀行法等の脱法行為として問題の生ずる余地はあつても法律上不可能とはいえないといわなければならない。従つて予め確定した割合の金員を分配すると定めたというだけでは所得税法に規定する匿名組合契約等に該らないとはいえない。」との判示理論を是認しながらも、「出資者が事業所の経営する事業にいわゆる隠れている営業者として参加する意思があるか」どうかを重視し出資者に監視権が賦与されていたかどうかを判断の基準として、本件契約が「匿名組合契約等」に該らないと判決されたのは、誤りであるといわなければならない。

もつとも、出資者は、出資の対象とした事業の盛衰に密接な利害関係を有し、したがつて当該事業の業務や財産の状況について関心をもつのは当然であろう。商法も匿名組合につきその匿名組合員にこれらに関する検査の権限を認めてはいるが(同法第五四二条)、出資者が事業を監視するために採るべき手段は右の商法所定の方法が唯一のものではなく、事業上他の種の方法、態様例えば業況視察、等によつて行われることは多く言うまでもないところであるし、またかような監視権は、契約において特に積極的に約束していなければ逆にすべて否定されるものと即断すべきでもなかろう。要するにかような監視権は、事業の種類、態様によつて千差万別であり、その強弱においても極めて多様でありときには殆んど無きに等しい場合も少なくないのである。世上一般に行われている株式、投資の場合を考えてみても、一般投資家は、株価の値上り、利廻り等に多大の関心を持つているにしても、果して会社の経営内容について監視する手段方法を採るため、株式総会に出席し、あるいは株式総会の招集を請求し、会社の計算書類の閲覧を求めることがあるのであろうか。株式市場に上場されている株式会社や「匿名組合契約等」のように出資者が不特定多数の場合には、かような監視権はたとえ認められているにしても有名無実に帰しているのが通例であるから、監視の方法が具体的に定められているかどうか、それが具体的に行使されているかどうかによつて、それが出資ないし投資であるかどうかを左右することにはならないのである。いわんや、本件破産会社の採つていた匿名組合方式においては、一定の配当率が特定されていたのであるから、監視権の存否を問題とする必要は毫もないであろう。

これを要するに、右の監視権の存否は、所得税法にいう「匿名組合契約等」の本質をなすものではなく、また法もこれをもつてその要件とする旨定めていないのであるから、原判決が、これを隠れたる事業者として参加する意思に関連させ、その意思があつたかどうかをもつて「匿名組合契約等」に該当するか否かを決する基準としたのは失当であるとしなければならない。

三、出資および利益分配の意義

先ず「匿名組合契約等」の内容を明らかにするためには、「当事者の一方が相手の事業のために出資をなす」という場合の出資の意義が問題となる。

原判決が、「匿名組合契約等」に該るかどうかを識別する基準として「事業者の経営する事業にいわゆる隠れている営業者として参加する意思があるか」どうかという点を採りあげたのは、おそらくこの出資の語義にその根拠をおいているものと思料される。

しかし、出資という語義は、特別の定義なしに用いられる場合には、広い意味を持つものであるから、こゝにいう出資も、事業者が当該事業のもとでに充てるべきことを了解して金銭を出資し事業者も亦当該金銭を右事業に投入すべきことの責務を負うているものを意味するものと解すべきである。

因みに、貸金業取締法に代えて「出資の受入、預り金及び金利等の取締に関する法律(昭和二九年六月二二日法律第一九五号)」が新たに制定されたが、この法律は、出資金の受入の制限を目的として、「何人も不特定且つ多数のものに対し、後日出資の払いもどしとして出資金の金額若しくはこれをこえる金額に相当する金銭を支払うべき旨を明示し、又は暗黙のうちに示して、出資の受入をしてはならない(第一条)」と規定しているが、この法律は、出資の払いもどしをなすことを約する出資のあることを予想しているのであつて、ここにいわゆる出資の意義も広い意味を持つものである。

したがつて所得税法にいう「匿名組合契約等」における出資の意義についても、その法律目的等からみて、前述のように事業者の事業のいわゆるもとでとして金銭を出資するという客観的な事実が存在すれば足りるものと解しても、いささかの不都合はないとしなければならない。

しかしながら、かく解した場合に、その契約が所得税法の「匿名組合契約等」であるか、それとも右以外のたとえば金銭消費貸借または消費寄託であるかを何を基準として判断し、区別すべきかが問題となる。そもそも消費貸借または消費寄託とは、当事者の一方が種類、品等および数量の同じ物を返還することを約して相手方から金銭その他の物を受け取る契約であつて、授受された金銭等が受入側の事業に投入されることは契約の要素ではない。しかし所得税法にいう「匿名組合契約等」にあつては授受された金銭等が受入側すなわち事業者の事業に投入されることが当然予定され、当該事業者は右出資をもつて事業の逐行にあたるという義務を担う点に差異が見出される。もちろん、消費貸借との区別が判然としない場合も考えられるが、その最少限度の区別の基準としては、匿名組合方式なるものが事業の有利性、安全性を強調して一般大衆から事業資金を募集していたのであるから事業者は出資者のために当然に出資金を善良なる管理者の注意をもつて運営すべき責務を担つているという点に求められるべきである。

なるほど、「匿名組合契約等」においては、他人の事業に出資するにとどまり、出資者は事業者として第三者と直接権利義務関係にたつものではないから、原判決のようにこれを経済的には隠れたる事業者とみることはあながち不当ではないかもしれない。しかし当該事業への参加は出資自体によつて既に充たされているのであるから、それに加えて出資者に当該事業に対し何らかの関与の権利が認められているかどうかについても検討しなければならないとするのは、いささか行き過ぎであろう。

次に利益を分配するとは、出資者に対し、その出資をした事業から生じた、または生じている、または生ずるであろう利益の一部を享受せしめることであつて、その給付が事業を前提とする点で、事業とは無関係に支払われる消費貸借の利息とは異なるのである。

ところで、この利益の分配自体は、この契約の要件であるけれども、その方法、時期および割合等は当事者の自由に特約しうるところであつて、その如何によつて契約の性質がかわることはない。たとえば、多数者から事業資金を蒐集するため出資を募る場合、これを容易にし、かつ計算の煩雑を避けるため、短期の出資契約を結び利益の分配率および支払時期を予め示して契約することがあるけれども、このことの故に匿名組合契約等に該当しないといえない。

もつとも、かかる出資契約においては、一見消費貸借(または寄託)の利息の支払とまぎらわしい感じがするけれども事業の利益の分配であるか、はたまた消費貸借の利息であるかを判定するには、それが一定時期に確定率をもつて支払われたかどうかによつて決すべきではなく、事業者が受け入れた資金を当該事業に投入し、この事業から生ずる利益から給付がなされるという構造をもつものかどうかによつて分れるものというべきである。すなわち、事業者の給付するものが利益の分配か、利益の支払かを判定するためには、先ず両当事者が一方の事業への出資を目的として資金を授受し、かくてその事業より生ずる利益を反対給付するものであるかどうかによつて決るのであるから、事業者が出資者から提供をうけた出資金に対し、毎月提供(出資)日の各応当日に一定率の給付を支払うから、これを利息であるとするのは、この支払方法にとらわれ、同給付が出資金に対するものであることを看過することであつて、本末を転倒するものといわねばならない。

換言すれば、利益の分配とは、さきに述べた意味の出資にもとづき事業者が出資者に対してなす給付であつて、出資の返還によらないものをいい、その給付の名目ないし記帳経理の如何に拘らず、または個々の出資者の一部の意思ないし会社側の少数意見を探究することによつて決せられるべきものではないのである。

原判決は、「出資者が事業者の経営する事業にいわゆる隠れている営業者として参加する意思があるか」どうかによつて「匿名組合契約等」に該るかどうかを判別する態度を採つたことに照応して、利益の分配についても、「単に出資者に提供したいわゆる出資金を利用させ、その対価として利息を受ける意思を持つにすぎないか」どうかによつて、本件契約が「匿名組合契約等」に該るかどうかを判断している。

しかし、前述したように出資とは、広い意義を持つものであつて、それを判定するためには、事業のもとでとして出資している客観的な事実にもとづいて決められるべきものであり、それによつて出資であることが明らかにされれば当該出資にもとづいて出資者に支払われる金員は出資の当然の帰結として利益の分配に該ることとなるのであるから、原判決が当事者の意思を付度して判断しようとしているのは、出資の場合と同様の誤りをおかしているものとしなければならない。そして、その誤りである所以は、上記原判決の誤りを指摘して述べきたつたところと軌を一にし、それにつきることとなると思われるので、こゝに贅言を重ねる必要はないであろう。

第二点原判決には法律行為の解釈、ひいて法令の適用を誤つた違法がある。

一、原判決の引用する第一審判決は、「契約の解釈に当つて当該契約に使用された文言にのみ拘泥するのは正当とはいえず、表示された契約全体の趣旨から当事者の意見を推測すべきことは勿論である。」と判示された上、本件契約は、所得税法にいう「匿名組合契約等」に該らないと解された。

一般に、法律行為の解釈は、当事者がこの行為によつて達成しようとした意思内容を明らかに確定することであり、当事者の用いた言語等の表示の結果を明らかにし、これを法律的に構成するのがその任務であるといわれている。そして、それは当事者の内心の意思を探究することをいうのではなく法律行為に含まれた意思表示の客観的な意義を確定するものなのである。もし、原判決の「……契約全体の趣旨から当事者の意思を推測すべきである。」と判示されているところが、当事者の内心的意思を探究し、その結果をもつて本件契約の性質を左右するものとせられたのであれば、原判決は、すでにこの点において法律行為の解釈を誤つたものといわねばならない。

二、のみならず、本件契約は、いわゆる附合契約の一種であると解すべきものであるのに、当事者個々の意思にもとづいて解釈した点においても違法たるを免れないと信ずる。

原判決の引用する第一審判決の確定した事実によれば、

(1)  破産会社は、新聞広告、ビラ、営業案内、投資案内の頒布、勧誘員の勧誘等の方法で実業投資会社であることを宣伝し、

(2)  日勧電気工業株式会社ほか数社の株式会社に投資してその利潤の配当を受けるほか、自らも数種の直営事業を営んでいるが、

(3)  そのため多大の資金を要するので、これに要する資金に充てるため、株式投資現金投資(終期頃は借入という言葉を使つていた。)を求め、一定率の配当(途中から利息ということに改めたが、特別配当という文言は残つていた。)を支払うべき旨、および、この投資は、銀行預金等より有利であり、また安全な利殖方法である旨宣伝し、一般大衆からいわゆる出資契約の申込の誘引をし、

(4)  一右申込の誘引に応じていわゆる出資者が契約の申込をすると出資契約証書(後に約束手形に変更された。)および配当金受領書(後に利息の支払明細書に変更された。)を交付していた。

というのである。

しかして、それらの事実によれば、それらの一般的広告方法は、いわば本件契約の約款の開示にあたることはいうまでもないところであるが、その約款の細部、契約手続等は、すべて破産会社の定めたところによらなければならないのであつて、申込をする者は、申込をするかしないかの自由はあるけれども、既定の約款の変改を申込み、またはそれを変改され得る余地は全くなかつたのである。すなわち、本件契約においては、その内容は当該契約をする個々の当事者との間で接衝にもとづいて具体的に決められるのではなく、破産会社においては、万を超える多数の出資者に対する法律関係の一般的規律として、あらかじめ出資方式、出資手続、利益分配の方法等を様式化しておき、それによつて定型的に契約が締結されていたもので、出資者としては、全くこれを変改するの余地はなかつたのである。

このような実態によれば、本件契約はいわゆる附合契約の一種であるとみなければならないのであるから、原判決の説示するような法律行為の解釈はもとより前記のような一般の法律解釈の原理がそのまゝ適用されるべきものではない。すなわち、個々の出資者は契約の内容について一々決定、変改する自由がなかつたのであるから一旦、契約が締結された限りにおいては、出資者も破産会社も、その内心の意思如何にかかわらず、またその知不知にかかわらず客観的にあらかじめ破産会社が定めて表示していた約款に拘束されるものであるといわなければならない。換言すれば、本件契約の解釈にあたつては、当事者の内心的意思が問題とされるべきものではなく破産会社があらかじめ様式化していた出資の方式、手続、利益分配の方法その他本件契約となる事項についての約款そのものを合理的に解釈することにあるのでなければならないのである。

三、このように約款の解釈について、個々の当事者のこれによる意思または知不知にかかわるべきでないとする根拠が奈辺にあるのか、すなわち、約款の性質が法規性を持つものであるかどうかについては争いのあるところであるけれども、少くとも法としての権威性を認めることについては躊躇せざるを得ないと思う。とすれば、法の一般解釈は当事者の法に対する理解可能性によるものではなく、目的論的に合理的になされるべきものであるのに対し、約款の解釈においては、その客観的統一性が問題となるのであるが、もし、約款が不明瞭なような場合は、むしろ、「作成者不利の原則」ないし「疑の利益の原則」に即し、企業者側の不利益に解されるべきものであろう。

本件契約においては、破産会社の定めた約款によれば、例えば、出資を後に借入れと変更し、出資金を元金、配当を利息に変更指称しており、約款それ自体に明確を欠く点がある。しかも、それが本件争点の一ともなつているのであるが本件契約が「匿名組合契約等」に該ると解釈されることは、破産会社に不利であり、出資者に有利である(出資配当の和は、元金と利息制限法の制限利息の和より大であるから経済的効果において出資者に有利である。)からこの見地よりしても破産会社の定めた約款は、「匿名組合契約等」に該当すると解さなければならない契機を含んでいると考える。

四、なお、法律解釈の如何によつて当該法律行為が適法有効となり、あるいは違法無効となる場合には、可及的に当事者の表示するところによりその所期する法律効果を生ぜしめるよう努めなければならないのは当然であろう。けだし、一般大衆を相手に或る種の法律行為が平隠かつ公然に、しかも集団的に反覆して大量になされている場合において、適法有効な法律効果の発生を認めうる法解釈が可能であるにもかかわらず、殊更にそれを否定する方向で、当該法律行為を解釈するのは徒らに取引の安全を害し、また社会的混乱を惹起する弊を招来することとなるからである。

ところで、原判決の引用する第一審判決が説示するように破産会社は「出資者からその事業資金を組織的に借入れる意思しかなかつた」ものと認定し、本件契約が消費貸借契約に該るものと解するならば、配当率は当然に利息制限法の制限利率を超えるため同法に抵触し、他面金融取締法規にも違反する可能性を生ずるわけである。しかし、本件契約のように広く一般大衆に呼びかけて事業資金の調達を行つていた破産会社はもちろん、これに応じて平隠、公然に出資契約をなしていた万を超える多数の出資者にとつて、それが違法または無効とされるならば、両者はともに、その所期するところを裏切られ、その意に反する結果に逢着することになる。したがつて、このような法律行為の解釈は、決して合理的なものとはいえないのである。

しかるに、原判決は、「これを法律違反にならないように解釈する必要がある訳のものではない。法規違反の効果は別にその責任を問うべきである。原判決がした意思解釈で法律違反の効果が出るからと言つてそのために不合理とはいえない。」と判示される。

なるほど、法律違反の効果は別にその責任を問うべきであるかもしれないが、本件契約が平穏、公然にしかも大量、反覆的になされている実相に想到すれば、果して一般大衆は、法律違反をおかすの意を有していたとみるのを正当とすべきであろうか。吾人の経験則に照らせば、それを否定的に推測せざるを得ないと思う。

そうだとすれば、本件契約を消費貸借であるかのように解した原判決は、この点においても法律行為の解釈を誤りまたは経験則に反した違法があるといわなければならないと信ずる。

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